Googleが神の住処からYouTubeコミュニティのある地上に降り立つとき

News CorpによるMySpace.com買収ニュース。そのニュースを同僚や、大企業の幹部に伝えようとした時、興奮でろれつがよく回らず、その意義をうまく伝えられなかったのは2005年7月。

そして、Mountain ViewにあるGoogleキャンパス(Google本社)を訪問し、天才従業員達が放出する、コンコルドの轟音と同じぐらいの圧倒的なエネルギーに圧倒されたのが、3ヶ月ほど前。

同じ時期、今年に入ってのMySpace.comへのトラフィックの伸びを遥かに凌駕する勢いでのYouTube圏の爆発は、間違いなく、世界史に刻まれる事件だと確信した((トラフィックの伸びはこちらを参照)ブログ圏(Blogoshphere)という言葉があるとすれば、YouTube圏(youtubesphere)という言葉があってもよいぐらいだ。

そして、今週、GoogleYouTubeを$1.65 billionで買収した。

この意義については、梅田望夫氏をはじめ日本語圏でも多くのブロガーが議論しているが、私が特に感じたことを備忘録としてまとめておこうと思う。一言でまとめてしまうと、このニュースは、「Googleが神の住処からYouTubeコミュニティのある地上に降り立つとき」が来たということを示しているはずだ。

  • YouTube.comは、コミュニティそのもの、であること。それは、YouTubeの創業者二人による、買収をユーザに知らせる画像の中でも、「買収という大成功にたどりつけたのは、コミュニティのおかげだ、感謝する。」と創業者自身の口から何度も、繰り返されている。この認識は次のポイントの土台となる。ビデオはこちら:http://www.youtube.com/v/QCVxQ_3Ejkg
  • Googleは、知能指数百台後半の天才かつ野心家を世界中からかき集めて形成されるカオス的頭脳集団から、深い技術でもって革新的なサービスを提供しようとしている集団であること。自分達は天才だという自信。Googleの創業者達は、社員のブースに現れ、「コードを見せよ」と言うという本当らしい逸話からもわかるし、梅田望夫氏の最近のエントリグーグルの特異性と強さにも現れている。

そして、この二つを認識すると、

  • 技術至上主義のGoogleが、コミュニティであるYouTubeを買収した、ということは、二つの異なる遺伝子を持つ種同士が、結婚した、ということだ。異種間臓器移植で過剰な免疫反応を起こしてもおかしくないぐらいの、全く異なる遺伝子を持つ企業が一つになったということだ。この先どうなるか、楽しみである。

以上が備忘録である。

ところで、YouTubeの買収ニュースを聞いて、数ヶ月前、梅田望夫氏の講演会の中で、氏にむかって、こんな質問をしたことがあることを思い出した。

アテンションエコノミーの時代が始まっているとするのならば、ピアの中のアテンションをたどって、世の中を探索できる時代が来るという気がする。ソーシャルブックマークっていうのは、その萌芽事例かもしれない。そういう時代にあっては、Googleという検索エンジンの重要性は揺らぐのではないか?

梅田氏は、確か、こういうふうに答えたと記憶している。

それは、全くの誤りです。総表現社会が深化するにつれて、ネット上に膨大なコンテンツがさらに蓄積する。それをアクセス可能にできるのは、Googleのような強い技術インフラが必要なのです。

Googleという、メインフレーム時代が続くと、氏は予想していると理解したが、私は今でも違うよな、きっと。という思いを持っている。人のリアルタイムアテンションをP2Pで辿って何かに出会う、そういう時代が来るかもしれない。この結論は、もう5年ぐらい待とう。ただ、図書館としてのGoogleは、社会インフラとして、今のリアル図書館と同じようなアーカイバという位置づけで残るのだろう。

ただ、今回の買収ニュースは、リアルタイムアテンションをかき集め、集積して、他人からもアクセス可能にすることの価値、すなわちコミュニティの価値を、$16.5Bという値として、天才頭脳カオス集団Googleが認めざるを得なかった、ということと解釈した。その解釈から言うと、従来のGoogleの路線の優位性は、少し衰えた、ということなのだろう。しかし、一方でそのことの恐ろしさは、梅田氏のエントリ、「GoogleがYouTube買収!!! 圧倒的に正しい戦略が迅速に執行されたのだと評価する」が語っていることに圧倒的に同意する。