元旦に気付いたこと

いくらなんでも一年に一回ぐらいはブログを書かないと、と思い新年早々キーボードに向かう。

途中何ヶ月か日本に住んではいたが、2005年4月から北米の西海岸に住んできた。そんなこんなで、しばらく日本国内での生活から離れてみて、今日気付いたこと。それは、今思い浮かべられる範囲で自分が好きな日本のモノとコトを列挙してみると、どうやらそれは全て100年前から存在していたものばかりだということ。

例えば、こんな感じ。

  • 江戸前寿司
    • 今でも、こちらの新鮮な魚介類を使って自分で作る。これからも作り続けたいし、日本にもし行くことがあったら、江戸前寿司の名店に行きたい、と思う。
  • 木の器
    • やはり正月作るお雑煮は木の器が美しい。おせちも漆塗りの重箱がいい。
  • 温泉旅館
    • 日本に3歳になるまでしか住んでいない娘達が一番恋しがるのは温泉旅館での経験。
  • 白神山地とか、日本の自然
    • 高校生の時に堀田たちと歩いた、あの、豊かな生態系の、匂いや感覚は今でも忘れない。今住んでいるところも、すばらしい自然の中だが、それでも、四季の美しさは日本のそれにかなわない。

ここ2年ちょっと、カナダの田舎に住んでいて、日本人の友達も近くにはほとんどいないし、日本食スーパーとかも近くにない生活を続けている。日本食スーパーとかに恵まれている場所、例えば、シリコンバレーとかに住んでいると、たいていの日本の食材が手に入る。だから、食に関しては日本の都市に暮らしているのと、あまり変わらない生活をすることもできる。日本人も多いし。すると、なんか、自分の生まれ育った国のことをあまりクリティカルに考えることも必要もなくなったりする。カナダの田舎で2年も隠遁生活をしていると、自分の感覚が研ぎすまされてきて、上に書いたようなことに気付いたらしい。

こう考えてみると、自分にとっては、今の日本に帰るより、百年前*1の日本に帰るほうが、実は嬉しいことなのかも知れない。

*1:友人のアメリカ人と日本料理談義をしている時に彼が言っていたっけな、「最近一部の(アメリカの)人々は、Authenticityを求めるようになってきた。」恐らく、彼らがいだく日本のAuthenticityは、同じく100年前かそれ以前に遡る。例えば、上でリンクしたある江戸前寿司の名店を紹介した動画の5分30秒あたりからの部分でもそういう主張が出てくる。